「三七殿(織田信孝)は柴田(柴田勝家)と滝川(滝川一益)に与すれば望み通り天下の主君となることができると考え、欲に駆られて人質となっている己の母と娘、および家臣らに対する愛情を忘れ、再び羽柴(羽柴秀吉)に敵対しようとして、そのように名 ...

(現代語訳)

「秀吉が(尼崎へ)着陣したので、池田紀伊守(池田恒興)、惟住五郎左衛門尉(丹羽長秀)は話し合い、摂津富田に陣を敷いた。先陣は天神馬場・山崎へ至って陣を取り続き、惟任(明智光秀)の動きを監視した。

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「同国の重立った3人の大身(池田恒興・中川清秀・高山右近)は、羽柴殿がさほど遠くない所まで来ていることを期して、ただちに戦の準備を整え、兵を率いて高槻から3里の所にある山崎と称するかなり大きく強固な村へ出向いた。

彼らが互 ...

宣教師オルガンティーノが沖島へ避難する

「右のことをなし終えて明智は朝の8時または9時頃、兵を率いて都を出てゆき、当地から4里の所にある城に向かった。この城は坂本と称し、安土山への道中にある。すでに述べた通り、都から安土山 ...

「信長はいともたやすく征服したかの国々から戻ると、新しい市、安土山を拡張することに余念がなく、日々多数の家を新築させていた。建てる家が大きく立派であればあるほど、それだけ彼に奉仕したこととなった。毛利氏に打ち勝った羽柴(秀吉)殿も邸( ...