1587年 – 89年 九州征伐
<前年からの経過>
1586(天正14)年7月、島津軍が筑前へ侵攻。島津忠長・伊集院忠棟が大友領の岩屋城を攻略。8月、立花山城を攻撃。その後島津軍は撤退する。
1586年8月、秀吉が九州征伐を開始。先鋒隊と ...
1585年 – 86年 家康が秀吉に臣従
1585(天正13年)年初頭、毛利領との国境が画定。備中南部は高梁川を国境とし、備中高松城は羽柴領、備中松山城は毛利領と決まる。
羽柴秀勝(於次丸 信長の四男)と輝元養女の縁組が成立する。
1585年1月 ...
1584年 小牧・長久手の戦い
1584(天正12)年1月3日、大坂城内の山里の茶屋で秀吉、千利休(宗易)、津田宗及が茶会を催す。【宗及他会記】
1584年1月、秀吉が毛利と中国国分を進める。毛利輝元へ書状を送り、国境線を妥協しなければ諸城を攻 ...
1583年 賤ヶ岳の戦い
1583(天正11)年1月、滝川一益が秀吉に対して挙兵。
伊勢 亀山城主の関盛信・一政父子(本能寺の変後に信孝方から秀吉方となっていた)が年賀の挨拶で姫路城を訪れた隙に、攻撃を行い、占領する。峯城(城主 岡本良勝)も ...
1582年(後半) 東国 天正壬午の乱
天正壬午の乱(1582年6月~10月)
信長の死後、空白となった旧武田領を狙い北条、上杉、徳川が争う。
※参考文献:『天正壬午の乱』平山 優 (著)
1582年(後半) 西国 中国大返しと山崎の戦い
本能寺の変で信長を討った明智光秀が近江制圧を進める。焼き落とされた瀬田橋を復旧させ明智軍が進軍する。
若狭の武田元明は本能寺の変を知ると明智方につき、佐和山城を占領、また武田元明の義兄 京 ...
1582年(前半) 本能寺の変と伊賀越え
1582(天正10)年5月9日、家康一行(本多忠勝・酒井忠次・井伊直政・榊原康政・石川数正・服部正成・穴山梅雪ら重臣・小姓の34名)が御礼のため上洛。浜松から京へ向かう。
5月11日、家康一行が岡崎城へ ...
1582年(前半) 武田家の滅亡
1582(天正10)年元旦、安土城で年始祝賀を行う。堺衆の今井宗久・千利休(千宗易)・山上宗二・津田宗及、明智光秀・筒井順慶が参賀する。
1582年1月7日、坂本城で明智光秀が津田宗及・山上宗二と茶会を催す。床の ...