<織田家>

1580(天正8)年、信忠に長男 三法師が誕生。

1580年1月9日、明智光秀が津田宗及と茶会を催す。
1月14日、信長が安土城で津田宗及、松井友閑と茶会を催す。信長が松井友閑へ茶を挽く。
1月2 ...

<織田家>

1578(天正6)年元旦、信長が安土城で茶の湯を催す。
織田信忠・武井夕庵・林秀貞・滝川一益・細川藤孝・明智光秀・羽柴秀吉・荒木村重・丹羽長秀・長谷川宗仁・市橋長利・長谷川与次が参列する。信長は朝の茶を12名に振る舞 ...

<織田家>

1575(天正3)年2月27日、信長が岐阜城を出陣、3月3日に上洛し相国寺へ入る。

3月、信長は原田直政(塙直政)を大和国守護とし、与力に筒井順慶を置く。
3月、堺の代官として松井友閑を置く。

<織田家>

1573(元亀4)年1月23日、信長が上洛。妙覚寺で津田宗及ら堺衆と茶会を催す。

1573年2月、足利義昭が信長からの離反を決断。
義昭は近江堅田の山岡景友(義昭の幕臣)へ命じ、伊賀・甲賀衆・一向宗ととも ...

<織田家>

1570(永禄13)年1月23日、信長が朝山日乗・明智光秀宛で足利義昭への五箇条の条書を送る。
前年の義昭への掟に続き、さらに政治・軍事の決定権を主張する。

一、諸国へ御内書を命じることがあるならば、信長 ...

<織田家>

北伊勢へ侵攻

1568(永禄11)年2月、前年に続き織田軍が北伊勢へ侵攻。

信長は神戸氏の高岡城(城主 山路弾正)、神戸城(城主 神戸具盛(友盛))へ息子の信孝を養子に入れる和睦案を提案、これにより神 ...

<織田家>

1565(永禄8)年、木下藤吉郎が斎藤領の美濃 鵜沼城を攻略。

1565年5月19日、永禄の変。三好義継、三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)、松永久秀の嫡男 久通による10,000の軍勢が二条城を襲撃、第 ...

<織田家>

1560年以前の尾張国

尾張国は守護大名の斯波氏(武衛家)と守護代の織田大和守家(清須織田氏)、そして織田伊勢守家(岩倉織田氏)が統治していた。
斯波氏が今川との争いに敗れると、織田大和守家に仕える清須三 ...